父親は旅館に勤めていた。
旅館とは言うが、食堂はあるわ、冠婚葬祭や法事は行うわ、飲み会も…そして、食材や洗剤なども売っている商店みないな店も併設していた。
そして、この謎の旅館で父親の肩書は調理師だったが、仕入れから調理、バスでの送迎、冠婚葬祭の司会、店番から何から何までやっていた。
「破茶滅茶」「滅茶苦茶」:全く筋道が通らないこと、前後を考えずに行動すること、度を越していること。 父親を表現する時には、この言葉が一番しっくりくる。
まずは、この写真を見て欲しい。
これである。手書きでこういう看板を書きまくる、むしろ書き殴るのである。
そして食堂を見て欲しい。
どうしてこうなるんだ?
左上の親子丼と右下の親子丼は違う親子丼なんですか? お父さん…
何かの間違え探しですか? お父さん…
一度、精神科医が食事をしに来た時に真剣に父親のことを心配していたという…
僕は子供心に父親が書く看板が恥ずかしかった。
ある日、父親と旅館でお茶を飲んでいると、一人のお客さんが父親に話しかけてきた。
「いやぁ。凄い字ですね。どうしたらこんな字を書けるんですか?」
父親は答えた。
「あー。あれだな。みんな紙の大きさや、看板の大きさに縛られるだろ? 縛られちゃダメ。はみ出して良いんだよ。紙や看板からはみ出て、道路に書いちゃうくらいの勢いで書くんだよ」
「ほぅ… 一度、書いてもらえませんか?」
そして、父親はそのお客さんの前で看板に字を書くことになった。
「失礼ですが、墨は何をお使いですか?」
「墨? 墨なんか使わねぇよ。看板だぞ。看板。このペンキだよ、ペンキ」
「ペンキですか… 失礼ですが、筆は何をお使いですか?」
「はぁ?筆? 筆なんか使わねぇよ。ペンキを塗るハケあるだろ?アレだよ。アレ」
そう言って父親は看板にペンキとハケで字を書こうとした。
「あれ?タケシ。お前、ハケ知らねぇか? ペンキを塗るハケねぇな…」
「おぅ…それじゃぁ、今日は書けませんか?」
「いや、ハケなんかいらねぇよ。これで良いや。これで」
そう言って父親は亀の子タワシを使って、看板に字を書き始めた。
「てや! ほら。よし。ほれ!! ほら。出来たぞ」
「はぁ~、タワシで字を書くんですか…」
「タワシが無ければこうするわ!」
そう言って父親は手にペンキをべったりつけて字を書き始めた。
「これで良し!と…」
数日後、旅館に手紙が届いた。
有名な書道家の方からだった。そこには「個展を開くので字を描いてもらえないか?あなたの作品も飾りたい」と書かれていた。
「面倒くせぇ。これから法事の準備で忙しい」と父親は断った。
縛られるな。
囚われるな。
与えられたキャンパスからはみ出て良いんだ。
常識を疑え。
習字は筆と墨で書くと誰が決めた?
ペンキとハケで良い。それすら無ければ、タワシや手でも字は書ける。
はみ出て良いんだ。