YouTubeのCMくらい唐突にお釈迦様の話をします。
お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)は釈迦族の王子としてこの世に生を受けます。
生後7日目に母親が死去。その後、母親の妹が母親代わりとなり育てます。
16歳で隣国の王女と結婚(一説には他に2人の妻がいたとか…)19歳で長男が誕生。
釈迦族の王子として何不自由のない暮らしをしていたお釈迦様ですが、29歳の時に妻と子供を城に置いて突然、出家しちゃいます。
この時点でかなりヤバい人だと思いません?(笑)
そして…長男の名前は ラーフラ 日本語に直すと「妨げ(さまたげ)」!!
たまりません!
長男が産まれて喜ぶどころか 命名 「(悟りの)妨げ」ですよ!
これぐらいエキセントリックじゃないとね!
偉大なことをする人っていうのはこれぐらいの破天荒さが必要なのかなぁ…
出家したお釈迦様は悟りを開くため、ありとあらゆる苦行を自分に課します。
限界まで息を止めちゃうぞ!…飲まず食わずの限界に挑戦だ!…
眠らないでどこまでいけるかやってみよう!…火の中に突っ込んでみるぞ!…
よーし、牛糞の上に突っ伏してやる!…こうなりゃ茨の上に寝転ぶぜ!…
やってることは「それ、我慢大会と変わらくない?」レベル。
とにかくそこまで自分を追い込むだけ追い込んだ訳です。なんとその期間 6年!
そして、お釈迦様は骨と皮だけに瘦せ細りました。
「もう限界だ…」
その時、一人の村娘がお釈迦様に乳粥をあげました。
「うめぇ~!なにこれ? めっちゃ美味くない?」
そりゃそうですよ。飲まず食わずで6年間。骨と皮だけになって飲んだ乳粥。
仕事終わりのビールなんてもんじゃないでしょうよ…美味いに決まってます。
で、お釈迦様はここで気付く訳です!
「苦行に意味なくない?」
はい。皆さん。注目です!ここ試験に出るよ!
6年間も…ただひたすらに自分を苦しめて追い込んだお釈迦様が伝えてくれています。
苦行で悟りは開けません。
自分を苦しめて、追い詰めても意味はありません。
楽を遠ざけて苦を求めたお釈迦様は言うんです。
苦を求めても悟りには辿り着けないと…
日本では年間2万人を超える人が自殺しています。
お釈迦様の時代と変わらず今も人は「生きる」ことに悩み、苦しんでいます。
皆さんにお聞きします。
頑張ることは無条件に素晴らしいことなのでしょうか?
頑張るって…
こういう状況だと思うんです。
頑張ったら、必ず反動がやってきます。
それでも頑張り続けたらどうなるか?
張り詰めた糸はいつか必ず切れてしまいます。
頑張るという字を良く見ると… 「頑なに張った」 と書きます。
弓を想像してみてください。
頑なに張った弓は切れてしまいます。
でも、逆に緩み過ぎていたら弓は飛びません。
張り過ぎず、緩み過ぎないちょうど良い場所を探すこと。
それが「生きる」上で大切なことなのではないでしょうか?
ちょうど良い場所をお釈迦様は「中道」と呼びました。
張り過ぎず 緩み過ぎない 自分にとっての
ちょうど良い場所を探すこと。
あなたの中道を求めること
大切なのはバランスです。
今日も頑張ったなぁと思ったら、少し緩めてあげましょう。
あぁ、今日は緩み過ぎたと思えたら、少し頑張ってみましょう。
私は緩み過ぎたような状態が自分にとっての「ちょうど良い」と知ってから
飛ばない弓も許せるようになりました。
だってこれが自分にとってのちょうど良い張り具合だから。
張り過ぎず 緩み過ぎず
ちょうど良い場所を今日も探していきましょう。
今日も頑張る全ての人に…
届きますように。
※ 乳粥を届けてくれた村娘の名前はスジャータさん。
そうです♪ あの珈琲に入れるスジャータはこの村娘の名前です♪