冬になると3メートルもの雪が積もる山奥に住んでいた僕。
近くのコンビニまで車で1時間。テレビすらまともに映らないような山の中。
ある日、父親と東京の親戚の家に出掛けることになった。
はじめての東京。
今みたいに何でもGoogle先生が教えてくれる訳ではない。
小学生の僕は震えた。東京がとんでもなく怖い場所に思えたからだ。
出発の前日。僕はまるで戦場に行くような気持ちで準備をした。
襲われた時のことを考えた僕は 文鎮(ぶんちん)をリュックに詰め込んだ。
そう…書道の時に使うあの文鎮だ。
今でも思い出す。東京出発の前日に鏡の前で文鎮を2本振り回して、「はっ!」と謎の声を出していた自分を…。
文鎮を2本リュックに詰め込んで…更にポケットに小さい文鎮を2本入れて僕は東京に向かった。
凄かった。高い建物、人よりタヌキを見ることが多い場所に住んでいたのに…
溢れる人、人、人…
東京。
小さな夢をポケットに詰め込んで行き交う人々の群れ。
行き交う人々の中で…僕はリュックに文鎮を詰め込んで…ポケットに小さな文鎮を握り締めていた。
「もし、襲われたらこの文鎮で…」そう思いながら歩いていた。
翌朝、親戚の家に向かうために父親と電車に乗った。
「良いか?タケシ。高田馬場って駅に着いたら降りるぞ」
「うん。分かった!」
僕は緊張しながら高田馬場に到着するのを待った。アナウンスを聞き逃さないように…
「着いた!お父さん着いたよ!」僕は急いで電車から降りた。
ふと振り返ると父親がいない。
そして閉まるドアの先で僕は見た。座席にもたれかかって爆睡をしている父親を…
「おとうさーーーーーーーーーーーん!!おとうさーーーーーん!」
僕は叫んだ。
東京で僕は一人になった。今みたいに携帯もない時代に…僕は一人になった。
僕は泣いていた。
「おとうさーーーーーーーーーーーーーん!」
父親との永遠の別れかのように僕は叫んでいた。
「どうしたの?」その時、優しいお姉さんが声をかけてくれた。
「お父さんが…電車に乗っていたんだけど…もう会えなくなっちゃった…」
「何か持っているものある?お父さんどこに行こうとしてたとか分かる?」
「着替えと文鎮しか持ってない…」
「文鎮?」
「うん。文鎮…文鎮しかない…」
お姉さんは悲しそうな目で僕を見て駅員室に連れて行ってくれた。
その後、駅員さんが連絡をしてくれたのだろう。
この時、僕は山手線はぐるっと回ってまた戻ってくると知った。
プシュー
電車のドアが開いた。父親が電車からゆっくり降りてくる。
「おとうさーーーーーーーーーーーーーん!」
僕は父親に抱きついた。
「タケシ。寝ちゃったわ。悪かったな」
「おとうさーーん。おとうさーーーーーん!」
世にいうところの「生き別れた父親との再会。山手線編」である。
その後、僕は文鎮を使うことなく初めての東京を過ごした。
新しい世界に一歩踏み出す時。
人は誰でも恐怖や不安と戦いながら、小さな一歩を踏み出す。
誰もが心に小さな夢を抱え…
リュックに文鎮を詰め込んで…ポケットの文鎮を握り締めながら…
小さな小さな一歩を踏み出す。
今日も東京では小さな夢を抱え、文鎮を握り締め、人々が行き交うのだろう。
何度、失敗しても良い。
諦めなければ必ずチャンスはやってくる。
そう…山手線のように…